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歴代WTO(国際貿易機関)事務局長の役割と思い出

 2001年11月のドーハ閣僚会議で交渉開始が合意されたWTO新ラウンドは、03年9月のカンクン閣僚会議の決裂など紆余曲折を経て、夏休み前の枠組み合意を目指して鋭意交渉中である。この関連で普段余り報道されない事務局長の役割と私の思い出を取り上げたい(GATT/WTOの歴代事務局長は別表1の通り)。
 WTO事務局長は、前身のGATT時代から、事務局の長としての任務に加えて、貿易交渉委員会(TNC)の議長として中心的役割を果たしている。事務局長の手腕如何が交渉の成否を左右すると言える。
私はウルグアイ・ラウンド(UR)の交渉に関わって以来、3代目のダンケル(以下事務局長の敬称略)からスパチャイまで5代の事務局長と知り合う機会を得た。URは86年9月から7年半に及ぶマラソン交渉であったが、難航する交渉の進展に貢献したのは、91年末の所謂ダンケル・テキストである。ダンケル自身はスイスの元官僚で地味なタイプであったが、UR開始前にはサービスと知的財産権という新しい分野の交渉開始に固執する米国に配慮して途上国説得に奔走した。91年末には交渉の膠着打開を目指して合意文書案(ダンケル・テキスト)を取り纏めて提示し、これが最終UR合意文書の基礎になった。このテキストに盛られたコメを含む農産物包括関税化案は日本にとってUR最終決着時の最大の政治的課題となった。(注:日本は米国など農産物輸出国との厳しい交渉を経て、ミニマム・アクセス(最小限の輸入義務量)を農業協定の規定より約50%多く輸入するとの例外条項により、コメの関税化の例外扱いを得た。しかし、ミニマム・アクセス量を増加分を抑制する配慮などから、WTO下の1999年4月にはコメの関税化を受け入れることになった。)
その後中断状態にあった交渉を、強力な指導力を発揮して就任後僅か5ヵ月半で実質合意に導いたのは、93年7月登場のサザーランドである。難解な交渉内容の理解力に加えて、その政治感覚・手腕は歴代事務局長の中でも抜群であった。勿論、93年の東京サミットで合意・発表された日米欧加4極の関税引下げパッケージなども重要であるが、サザーランドの指導力はUR成功の鍵であった。官僚出身の前任者3人に対して、サザーランドはアイルランドの司法長官などを歴任した始めての閣僚経験者であった。同人はURの成功でその任務を果たしたとして95年1月のWTO発足前の辞任に固執したが、後任人事が遅れたためWTO初代事務局長となった。
5代目のルジェロはイタリアの外務次官、外国貿易相を歴任し、バランス感覚とユーモアのある人物で、投資などWTOの作業分野拡大を巡って厳しい対立がある中、シンガポールの議長(ヨーチョウトン商工相)とのコンビよく、第1回WTO閣僚会議(96年)を成功に導いた。同人も1期4年で辞めると宣言し、後述の後任選びが難航中の99年4月末に離任したために、4ヶ月間の空白が生じた。
6代目(及び7代目)の事務局長選挙は98年夏から1年に及ぶ長い紛糾の末、ムーア・ニュージーランド元首相とスパチャイ・タイ副首相(当時)が各3年務めるとの妥協が成立、決着した。この選挙戦はGATT/WTOの歴史を塗り替えた。GATT発足以来50年以上欧州人が占拠し続けたポストをアジア太平洋地域出身者が2代続けて占めることになった。スパチャイは始めての途上国出身者でもある。世界銀行、IMF(国際通貨基金)のトップ同様、GATT/WTOでも以前は欧米諸国が中心になって不透明な形で決定されてきたが、長期間の議論を通じて、米国が押すムーアと日本ほかアジア諸国が押すスパチャイの支持がほぼ拮抗し、最後に上記妥協が成立した。WTO協定には投票による意思決定方式が明記されているが、GATT発足以来、投票による決着の例はなく、コンセンサス方式が慣行になっており、事務局長選出が難航する一因となった。
上記経緯を経て選出された6代目のムーアは、学歴がなく労働組合運動を経て首相に上り詰めた敬愛すべき人物であるが、難解なWTO協定や交渉の中身の理解は期待し得なかった。(上記事務局長選挙運動中に、ムーアは私を幾度も訪ねてきたが、私は彼の訛りのある英語を理解するのに苦労した経験がある。)就任後最初のシアトル閣僚会議(99年)は、米国の不味い議長裁きと相まって失敗し、次のドーハ閣僚会議の成功を餞別に退場した。
7代目のスパチャイはアジア諸国や途上国の期待を担って登場したが、03年のカンクン閣僚会議は議長(デルベス・メキシコ外相)の不手際もあって決裂した。学者肌で、講演好きであるが、途上国寄りの発言で先進国を怒らせることもある。政治的指導力がないとの批判もある。ドーハ閣僚宣言では04年末までに交渉完結を目指すことになっていたが、その実現を見届けることなく、05年8月末の任期満了とともに引退し、その後はUNCTAD(国連貿易開発会議)事務局長に就任した。私は99年のムーアとスパチャイとの選出問題決着後にたまたまジュネーブからタイに転勤したが、スパチャイはタイのチュアン政権(民主党)下の副首相兼商業大臣ポストに就任していたために、公私にわたってお付き合いを機会に恵まれた。02年8月には、WTO加盟後の中国にWTO義務順守の重要性について講演するために、私はスパチャイのお伴で大連を訪問したこともある。(04年5月記。のちに一部改訂。)

表1  GATT/WTOの歴代事務局長
               (出身国)     (在職期間) 
エリック・ウィンダム・ホワイト 英国       48-68年
オリバー・ロング        スイス      68-80年
アーサー・ダンケル       スイス      80-93年
ピーター・サザーランド     アイルランド   93-95年
レナト・ルジェロ        イタリア     95-99年
マイケル・ムーア        ニュージーランド 99-02年
スパチャイ・パニットパクディ  タイ       02-05年
パスカル・ラミ         フランス     05-現在まで


表2  GATT/WTOにおける多角的貿易交渉
  (時期)     (名称)    (参加国数)    (交渉成果)   
 1947    第1回交渉       23     関税引下げ
                            (約45,000品目)
 1949    第2回交渉       13     関税引下げ
                            (約5,000品目) 
1950‐51  第3回交渉       38     関税引き下げ
                           (約8,700品目)
 1956    第4回交渉       26     関税引き下げ
                            (約3,000品目)
 1961‐62  ディロン・ラウンド   26     関税引き下げ
                            (約4,400品目)
 1964‐67  ケネディ・ラウンド   62     関税引き下げ 
                            (約30,300品目) 
         ダンピング防止協定、穀物協定、化学品協定
 1973‐79  東京ラウンド     102     関税引き下げ
                            (約33,000品目)
非関税措置の軽減・撤廃、国際ルールの策定(補助金・相殺関税、ダンピング防止協定、スタンダード協定、関税評価協定、政府調達協定など10の協定
 1986‐94  ウルグアイ・ラウンド 123     関税引き下げ 
                           (約305,000品目)
         WTO設立協定、1994年GATT、農業協定、サービス協定,TRIPs協定、TRIMs協定、繊維協定、ダンピング防止協定、補助金・相殺関税協定、セーフガード協定、SPS協定、TBT協定、紛争解決了解等
 2002‐(04末) 新ラウンド      
(ドーハ開発アジェンダ)


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