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北朝鮮の核開発問題

以下の小論は4年半前の2005年初めにある雑誌に寄稿したものであるが、北朝鮮の核開発を巡る問題は核実験やロケットの相次ぐ打ち上げなどエスカレートこそすれ、六者協議を重ねても何ら進展がなかったことが理解されよう

北朝鮮の恫喝と瀬戸際外交に踊らされ続けた12年間

 北朝鮮は2005年2月10日の声明で、六者協議への参加の「無期限中断」、「自衛のための核兵器の製造」を発表した。同国の核問題は過去12年余り、IAEA(国際原子力機関)、国連安保理、米朝交渉、日朝交渉、六者協議等さまざまな場で議論されてきたが、解決に向かうどころか、北朝鮮の時間稼ぎに利用された感が強い。この間に核兵器6‐8個分のプルトニウムが抽出されたとされ、今や北東アジアにおける最も深刻な安全保障問題になった。加えて北朝鮮はミサイルの開発を進め、現在日本を完全に射程範囲に置くノドン1号約200基を配備し、更に中距離弾道ミサイルのテポドン1号、ICBM級のテポドン2号の開発を進めている。核燃料やミサイル技術が中近東などに輸出され、世界平和への脅威にもなっている。この「ならず者国家」をどう扱ったらよいのか。拉致問題と並ぶもう一つの重要課題を探ってみたい。
 北朝鮮は85年にNPT(核不拡散条約)に加盟し、92年にIAEAとの間で保障措置協定を締結した。同条約の義務に従って、その核施設、核関連活動、核物質保有量等をIAEAに報告したが、その査察の結果、報告に重大な不一致が存在し、報告以外にもプルトニウムを抽出したとの疑惑が生じた。よってIAEAはこの点を更に追求する目的で特別査察を要求したが、北朝鮮はこれを拒否、93年にNPT脱退、94年にはIAEA脱退を通告した。この間、IAEA理事会は保障措置協定違反を認定、国際社会は北朝鮮に対しIAEA理事会及び総会決議、国連安保理決議等によってIAEAへの協力を呼びかけたが、北朝鮮はこれを拒否して、証拠隠滅を図った。
 以上と前後して行われたクリントン政権下での米朝交渉の結果、94年10月には米朝枠組み合意が成立、北朝鮮は核関連活動の凍結(使用済み核燃料棒の密封)等を行い、米国は日韓等と協力してKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)を設立、軽水炉発電所2基の建設、その完成までの間の重油供給などを約束して一旦危機は回避された。しかし、ブッシュ政権下の02年10月、今度はウラン濃縮による核兵器計画が発覚し、米国は重油の供給を停止した。これに対して北朝鮮は同年末に核燃料棒の密封を解除、IAEA査察官2人を追放した。
ブッシュ大統領は北朝鮮をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と呼びつつも、「対話」路線を選択、中国の仲介を得て日米中韓露及び北朝鮮六カ国による外交的解決を目指した。こうして始まった六者協議は03年8月から04年6月まで3回開催された。米国は「核計画の完全、検証可能かつ不可逆的な廃棄(CVID)」を要求、他方、北朝鮮は核関連活動の停止と引き換えに米国による安全の保証や経済支援を要求、具体的進展がないまま、本年(05年)2月、北朝鮮の一方的な協議参加無期中断の発表となった。
 このように北朝鮮の対応は瀬戸際政策の繰り返しである。NPT脱退表明2回、IAEA脱退通告と02年末のIAEA査察官追放、03年10月使用済み燃料棒からのプルトニウム抽出と再処理発表、ウラン濃縮計画の発覚、核兵器保有宣言など。解決を延々と引き延ばしながら恫喝によって、経済・エネルギー支援と安全の保証を吊り上げようとの魂胆にみえる。
 北朝鮮の核問題は対話と交渉による平和裏の解決が望ましいこと当然だが、以上の経緯に照らせば楽観は禁物である。対話だけでなく、圧力も必要になる。この場合、中国と韓国の態度が鍵を握っている。六者協議の開催、再開のための中国の努力自体は評価されるが、中国は北朝鮮への圧力行使に乗り気でなく、どこまで早期かつ完全な解決に真剣であるか不明。中国はこの核問題の存続自体をその対米外交の梃子にしているとみるのは邪推であろうか。北朝鮮に対する政治的経済的影響力の強いはずの中国に翻意を促したい。韓国の盧武鉉政権も経済支援の増大に傾くなど、危機感に乏しいが、米朝対決で最も被害を蒙るのは韓国自身であろう。
いたずらに時間が経過し、北朝鮮の核兵器が増え、ミサイル開発が進めば、ますます対話による平和裏の解決は困難になる。日米は中韓露を説得して北朝鮮の早期協議復帰を求め、仮に北朝鮮が無条件で協議への復帰に応じない場合には、国連安保理を通じた制裁発動以外に選択肢はなくなる。日米だけの制裁は効果的でない。国際社会による圧力が急務である。
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バルセロナの朝陽

前の記事に書いたIUCN(国際自然保護連合)のバルセロナ総会で泊まったホテルから撮った朝日の写真です。10月は雨が少なく、毎日のようにこのような綺麗な地中海に昇る朝日を鑑賞することができました。

IUCN 412(バルセロナ朝陽)

テーマ : 風景写真
ジャンル : 写真

第4回世界自然保護会議(WCC)に出席して

 第4回世界自然保護会議(WCC)が2008年10月5日から14日までバルセロナで開かれた。これは国際自然保護連合(IUCN)の4年毎の総会で、世界の177カ国から8千人を越える政府、NGO(非政府組織)、ビジネス関係者、学者・専門家、報道関係者などが参加、自然保護の諸問題を議論し、今後4年間の活動計画を承認、135本の動議を採択した。
10月5日はIUCN設立60周年記念日で、スペインの王太子のアストゥリアス公、タイのシリントン王女などの出席を得て開会式が行なわれた。総会は従来約3年間隔で開かれていたが、1996年からWCCに名称変えして、今回がその4回目となる。
親善大使を務めるシンガー・ソングライターのイルカさんも参加し、会場で演奏会を開いて下さった。「なごり雪」など日本語の歌が中心だが、イルカさんの簡潔明瞭な英語の語り口で、聴衆との意思疎通も円滑で賞賛を博した。私は第2回WCC(2000年、アンマン)でアジア地域理事に選出され、以来2期8年間を務め上げて今回が最後の総会となった。
6日からの4日間は世界自然保護フォーラムといって、各種展示や多数のテーマ別ワークショップが行われ、参加者間のネットワーク作りの場にもなった。日本の関係団体は、里山に関するワークショップやジュゴン保全に関するアジアネットワーク会合などを催した。会議後半の5日間は、会員総会といって、今後4年間の活動計画の承認、会長、各地域代表理事、6つの専門委員会委員長の選挙、各種動議の審議・採決などが行われた。
漁業関係の動議の採択
今次総会では我が国に関係のある捕鯨や漁業に関する多くの動議が提案、採択された。クジラ関連では、「動議36:非致死的利用とクジラ・ウオッチング観光の奨励」、「動議37:漁業と大型捕鯨」、「動議45:南極及び南太平洋」である。日本政府は、動議36には事前協議でテキストが合意され、賛成した。動議37は、事前の合意テキストを無視して、豪州が「大型鯨類が漁業に深刻な影響を与えない」(日本は鯨類によるイワシなどの大量捕食の実体を調査中)との修正案を突如提出、強引に採決を求めたので反対、動議45にも、「IWC南太平洋の聖域の尊重を国連加盟国に求める」との一文にNGOが固執したために反対した。
日本のNGOの提案で、「動議27:2010年(国連の生物多様性年)におけるジュゴンの保全推進」が可決された。日本政府は、沖縄ジュゴン生息地域における米海兵隊基地建設問題に関する表現振りについて動議提案者側と最終合意が得られず、棄権した。
サメの保護に関する動議も採択された。なかでも、「動議35:全地球的な反ヒレ切り政策」は、多くのNGOがヒレ切り禁止を含む新たな措置を要求する内容で、我が国は棄権した。欧州のサメ行動計画やボン条約のサメに関する動議も採択された。
マグロ関連では、ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の枠組み内で管理措置を求める内容の「動議38:大西洋東部系群クロマグロ回復のための行動」が我が国などの賛成を得て採択された。その他、「動議40:地域漁業管理機関による漁業管理」、「動議41:IUU(違法・無報告・無規制)漁業にかかわる船籍国の責任」、「動議43:国家管轄権外の海域の海洋生物多様性保護の達成」などが全会一致で可決された。
このように、多数決で採択された動議が多いが、IUCNの動議には拘束力はない。ただ、事務局が動議実施の進捗状況をモニターし、公表するので、加盟国政府には道義的圧力がかかるといえる。
2008年版レッドリストの公表
IUCNが世界の多数の専門家・ボランティアの調査を基に毎年発表するレッドブックは有名である。本年は10月6日に特に哺乳類を中心にした現状評価が発表された。哺乳類5487種のうち1141種が絶滅危惧種とされ、更に「情報不足のために絶滅危惧種かどうか判断できない種」が836種あり、これを含めると哺乳類の実に36%が絶滅危惧種とされた。従来は哺乳類の約20%が絶滅危惧種とされていたが、保全状態が更に悪化したといえる。スペインオオヤマネコやスナドリネコが危惧種に追加された。
会長など役員改選
今回関心を集めたのは特に会長選挙である。インド、コスタリカ及びスペインから3人が立候補し、私なども推したインドのアショク・コスラ氏が当選した。アジア地域からの会長就任は実に18年振りのことで、3人の候補の中では経歴、識見とも抜群の同氏の選出を嬉しく思う。コスラ氏はローマ・クラブ会長、WWFやIUCNなどの自然保護機関、世銀、国連などでの経験豊富な人物である。アジア地域からの新理事には、私の外務省後輩の小池元在オランダ大使が、バングラデシュ及びネパールの候補とともに選出された。
IUCNの60年間の活動、地球サミットの開催、生物多様性条約など、国際社会の努力にもかかわらず、地球上の生物多様性の喪失に歯止めが掛からない。次のIUCN100周年を目指して、生物多様性保全の目標設定と戦略策定など更なる努力が求められる。
(2009年1月記)

テーマ : 環境・資源・エネルギー
ジャンル : 政治・経済

IUCN(国際自然保護連合)の活動

 私は2000年秋から08年秋まで、2期8年間、アジア地域選出のIUCN理事を務めた。私の前には堂本暁子前千葉県知事が、同じく2期8年間、理事に就任され、私の第1期目の選挙運動を精力的に支援して下さった。
IUCNとの関わりは92年の京都における第8回CITES(ワシントン条約)締約国会議に遡る。私が本会議の議長、マーティン・ホルゲートIUCN事務局長が第1委員会の議長を務めた。同氏とは連日、ビューロー(議長団)会合などで議事運営にとどまらず、広く野生動植物の保全問題を議論する機会に恵まれた。英国人の同氏は、自然保護を重視しつつも、資源の持続可能な開発・利用という原則には忠実な考えの持ち主で、私は非常に強い印象を受けた。環境保護派と資源利用派の主張が激しくぶつかり合う第1委員会(同委員会は各国の提案をベースに、各種の動植物を絶滅危惧の度合いに応じて、カテゴリー別に条約付表に掲載する役割を担う)の議長裁きは実に公平であった。日本も、このような人物が主宰するIUCNの国家メンバーになって、生物資源の持続可能な利用という原則の世界的普及に貢献すべきとの判断から、私は外務省に進言し、日本は95年に加盟した。これに先立って、私はホルゲート議長に招かれて94年1月のブエノスアイレス総会に出席して、IUCNの実際の活動状況を視察・体験した。
 IUCNは48年の設立以来、「自然を尊び、保全する公平な社会」を目指して活動している。国、中央及び地方政府機関、NGOなどが加盟するユニークな機関で、メンバー数は年々増えて、現在は千を超えている。また、種の保存、世界保護地域、環境法など6つの委員会の下、世界の1万人余りの科学者、研究者等がボランティアとして活動に参加している。自然保護分野の世界最大のネットワークである。
 IUCNの貢献は顕著である。第1に、今や人口に膾炙している「持続可能な開発・利用」、「生物の多様性」、「生態系管理」などの概念を、UNEP(国連環境計画)、WWF(世界自然保護基金)とともに導入した。「持続可能な開発」の概念は87年のWCED(環境と開発に関する世界委員会、通称ブルントラント委員会)報告に起源を求めるものもあるが、実は既に80年にこの3機関が発表した「世界保全戦略」の中で提唱されたのである。
IUCNは、単なる机上での提唱に止まらず、CITES締約国会議への各国決議案に対する意見書でも、この原則を忠実に反映している。環境保護派が追求するクジラ、象牙、タイマイなど日本に関係の深い決議案についても、科学的データに基づく客観的意見を提供している。肝心のCITES事務局がウィンステッカー現事務局長の就任以来、時には「持続可能な利用」原則を無視して、環境団体や欧米諸国に媚びる態度を取りがちなのと好対照である。(CITES事務局も、以前は各国の提案に対して極めて健全・中立的な意見を提供していたが、ウィンステッカー事務局長が就任してからは欧米の環境保護派の影響をしばしば受ける傾向があり、残念である。)
第2は、世界的広がりを持つ専門家のネットワークを活用して発表する「レッドリスト」である。2004年秋発表のレッドリストでは、15,589種が絶滅危惧種とされた。脊椎動物、無脊椎動物、植物、菌類を含む広範な分類群からなる種が扱われているが、世界で知られている種の僅か3%未満の科学的データしかなく、実状ははるかに深刻である。これによると、鳥類の12%、哺乳類の23%、両生類の32%が絶滅危惧種である。カメ類は約42%。魚類のデータも不十分だが、3分の1のサメ・エイ類の評価が終わり、18%が危惧種である。淡水魚は海洋生物以上に深刻で、例えば東アフリカの淡水魚の27%が危惧種である。(2008年のレッドリストを含めて、詳細はIUCN日本委員会のHPを参照。)
 第3は、各国の環境法の整備や生物多様性戦略の策定・実施の支援である。自然保護分野の多数の国際条約策定を推進し、ワシントン条約、ラムサール条約、ボン条約、生物多様性条約、ユネスコ世界遺産条約などの事務局への技術支援を行っている。日本の知床など、自然遺産の登録認定前の調査・評価も所掌している。
IUCNの日本での認知度はどうか。2004年11月、4年に一度の総会がバンコクで開かれた。私は理事会の求めで、日本企業を中心に募金活動をし、多大のご協力を頂いたが、IUCNの活動目的の理解を得るのに大変苦労した。この経験から、IUCNの活動を普及・促進するために、親善大使の任命を本部に進言し、04年7月、シンガー・ソングライターのイルカさんが任命された。IUCNにとって世界で初めての試みである。
イルカさんにバンコク総会に出席してもらったが、IUCN会長始め関係者から、正に最適任者を見つけたといって称賛された。彼女はこの総会のために作詞作曲した新曲(「そして今も・・・」)を含むCD(「私の動物アルバム」)を持参、配布してくれた。その後も、テレビ、ラジオ、新聞・雑誌、コンサートなどを通じてIUCNの使命を語り続けている。親善大使任命一周年の05年7月末には河口湖ステラシアターと大阪NHKホールでIUCNのための特別コンサートが開催された。その後も、河口湖などで毎年特別コンサートを開催して下さっている。イルカさんのコンサート会場には募金箱が置かれ、今では日本委員会の活動の重要な財政的支えにもなっている。(イルカさんは08年10月のバルセロナでの総会にも出席、会場でコンサートを開催されたが、その模様は別途お伝えする予定。)
 このような活動を通じて、IUCNが目指す自然資源の保護と持続可能な利用の認識が一層高まることを期待している。
(2005年9月記。その後一部補足・修正。)

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ジャンル : 政治・経済

歴代WTO(国際貿易機関)事務局長の役割と思い出

 2001年11月のドーハ閣僚会議で交渉開始が合意されたWTO新ラウンドは、03年9月のカンクン閣僚会議の決裂など紆余曲折を経て、夏休み前の枠組み合意を目指して鋭意交渉中である。この関連で普段余り報道されない事務局長の役割と私の思い出を取り上げたい(GATT/WTOの歴代事務局長は別表1の通り)。
 WTO事務局長は、前身のGATT時代から、事務局の長としての任務に加えて、貿易交渉委員会(TNC)の議長として中心的役割を果たしている。事務局長の手腕如何が交渉の成否を左右すると言える。
私はウルグアイ・ラウンド(UR)の交渉に関わって以来、3代目のダンケル(以下事務局長の敬称略)からスパチャイまで5代の事務局長と知り合う機会を得た。URは86年9月から7年半に及ぶマラソン交渉であったが、難航する交渉の進展に貢献したのは、91年末の所謂ダンケル・テキストである。ダンケル自身はスイスの元官僚で地味なタイプであったが、UR開始前にはサービスと知的財産権という新しい分野の交渉開始に固執する米国に配慮して途上国説得に奔走した。91年末には交渉の膠着打開を目指して合意文書案(ダンケル・テキスト)を取り纏めて提示し、これが最終UR合意文書の基礎になった。このテキストに盛られたコメを含む農産物包括関税化案は日本にとってUR最終決着時の最大の政治的課題となった。(注:日本は米国など農産物輸出国との厳しい交渉を経て、ミニマム・アクセス(最小限の輸入義務量)を農業協定の規定より約50%多く輸入するとの例外条項により、コメの関税化の例外扱いを得た。しかし、ミニマム・アクセス量を増加分を抑制する配慮などから、WTO下の1999年4月にはコメの関税化を受け入れることになった。)
その後中断状態にあった交渉を、強力な指導力を発揮して就任後僅か5ヵ月半で実質合意に導いたのは、93年7月登場のサザーランドである。難解な交渉内容の理解力に加えて、その政治感覚・手腕は歴代事務局長の中でも抜群であった。勿論、93年の東京サミットで合意・発表された日米欧加4極の関税引下げパッケージなども重要であるが、サザーランドの指導力はUR成功の鍵であった。官僚出身の前任者3人に対して、サザーランドはアイルランドの司法長官などを歴任した始めての閣僚経験者であった。同人はURの成功でその任務を果たしたとして95年1月のWTO発足前の辞任に固執したが、後任人事が遅れたためWTO初代事務局長となった。
5代目のルジェロはイタリアの外務次官、外国貿易相を歴任し、バランス感覚とユーモアのある人物で、投資などWTOの作業分野拡大を巡って厳しい対立がある中、シンガポールの議長(ヨーチョウトン商工相)とのコンビよく、第1回WTO閣僚会議(96年)を成功に導いた。同人も1期4年で辞めると宣言し、後述の後任選びが難航中の99年4月末に離任したために、4ヶ月間の空白が生じた。
6代目(及び7代目)の事務局長選挙は98年夏から1年に及ぶ長い紛糾の末、ムーア・ニュージーランド元首相とスパチャイ・タイ副首相(当時)が各3年務めるとの妥協が成立、決着した。この選挙戦はGATT/WTOの歴史を塗り替えた。GATT発足以来50年以上欧州人が占拠し続けたポストをアジア太平洋地域出身者が2代続けて占めることになった。スパチャイは始めての途上国出身者でもある。世界銀行、IMF(国際通貨基金)のトップ同様、GATT/WTOでも以前は欧米諸国が中心になって不透明な形で決定されてきたが、長期間の議論を通じて、米国が押すムーアと日本ほかアジア諸国が押すスパチャイの支持がほぼ拮抗し、最後に上記妥協が成立した。WTO協定には投票による意思決定方式が明記されているが、GATT発足以来、投票による決着の例はなく、コンセンサス方式が慣行になっており、事務局長選出が難航する一因となった。
上記経緯を経て選出された6代目のムーアは、学歴がなく労働組合運動を経て首相に上り詰めた敬愛すべき人物であるが、難解なWTO協定や交渉の中身の理解は期待し得なかった。(上記事務局長選挙運動中に、ムーアは私を幾度も訪ねてきたが、私は彼の訛りのある英語を理解するのに苦労した経験がある。)就任後最初のシアトル閣僚会議(99年)は、米国の不味い議長裁きと相まって失敗し、次のドーハ閣僚会議の成功を餞別に退場した。
7代目のスパチャイはアジア諸国や途上国の期待を担って登場したが、03年のカンクン閣僚会議は議長(デルベス・メキシコ外相)の不手際もあって決裂した。学者肌で、講演好きであるが、途上国寄りの発言で先進国を怒らせることもある。政治的指導力がないとの批判もある。ドーハ閣僚宣言では04年末までに交渉完結を目指すことになっていたが、その実現を見届けることなく、05年8月末の任期満了とともに引退し、その後はUNCTAD(国連貿易開発会議)事務局長に就任した。私は99年のムーアとスパチャイとの選出問題決着後にたまたまジュネーブからタイに転勤したが、スパチャイはタイのチュアン政権(民主党)下の副首相兼商業大臣ポストに就任していたために、公私にわたってお付き合いを機会に恵まれた。02年8月には、WTO加盟後の中国にWTO義務順守の重要性について講演するために、私はスパチャイのお伴で大連を訪問したこともある。(04年5月記。のちに一部改訂。)

表1  GATT/WTOの歴代事務局長
               (出身国)     (在職期間) 
エリック・ウィンダム・ホワイト 英国       48-68年
オリバー・ロング        スイス      68-80年
アーサー・ダンケル       スイス      80-93年
ピーター・サザーランド     アイルランド   93-95年
レナト・ルジェロ        イタリア     95-99年
マイケル・ムーア        ニュージーランド 99-02年
スパチャイ・パニットパクディ  タイ       02-05年
パスカル・ラミ         フランス     05-現在まで


表2  GATT/WTOにおける多角的貿易交渉
  (時期)     (名称)    (参加国数)    (交渉成果)   
 1947    第1回交渉       23     関税引下げ
                            (約45,000品目)
 1949    第2回交渉       13     関税引下げ
                            (約5,000品目) 
1950‐51  第3回交渉       38     関税引き下げ
                           (約8,700品目)
 1956    第4回交渉       26     関税引き下げ
                            (約3,000品目)
 1961‐62  ディロン・ラウンド   26     関税引き下げ
                            (約4,400品目)
 1964‐67  ケネディ・ラウンド   62     関税引き下げ 
                            (約30,300品目) 
         ダンピング防止協定、穀物協定、化学品協定
 1973‐79  東京ラウンド     102     関税引き下げ
                            (約33,000品目)
非関税措置の軽減・撤廃、国際ルールの策定(補助金・相殺関税、ダンピング防止協定、スタンダード協定、関税評価協定、政府調達協定など10の協定
 1986‐94  ウルグアイ・ラウンド 123     関税引き下げ 
                           (約305,000品目)
         WTO設立協定、1994年GATT、農業協定、サービス協定,TRIPs協定、TRIMs協定、繊維協定、ダンピング防止協定、補助金・相殺関税協定、セーフガード協定、SPS協定、TBT協定、紛争解決了解等
 2002‐(04末) 新ラウンド      
(ドーハ開発アジェンダ)


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